2019年08月15日

戦いを終わらせた日


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この国が、なくなるかもしれない
 
ことばが、文化が、精神が
そして日本人が
いなくなるのかもしれない・・
 
その不安と悲しみと精神的圧迫は
どれほどのものであっただろう・・
 
 
国を愛するということ。
守るということ。
 
 
戦後74年が経ったいま
わたしは日本人として
『源氏物語』を味わっている。
 
 
戦いを終わらせた日
 
この日本の国を、
必死に守り抜いてくださった
すべてのご先祖さまへ
 
限りない感謝を込めて。
 

◆ 次回は 8/25(日)
「やまとことは」を味わうクラス
 
 
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2017年05月10日

わたしと世界


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 わたしの星を感じるとき
 
 わたしの星は
 わたしを見出します
  
 
 わたしの運命を感じるとき
 
 わたしの運命は
 わたしを見出します
 
  
 わたしの人生の目標を感じるとき
 
 わたしの人生の目標は
 わたしを見出します
 
  
 わたしの魂と
 大いなる世界は
 
 一つです



 
文通の友から届いた
ルドルフ・シュタイナーのことば。
 
いまの自分に
深く響く。
 
 
漠然とただ
待っているだけでは
 
世界もただ
待っているだけ
 
 
わたしが “感じて” 初めて
世界は動き出す。

  
 
わたしの訪れを
ひたすらに待ち続けている
その世界が。
 
 

画像は北海道のシュタイナー学校
「いずみの学校」の先生による黒板絵より
 
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2017年04月21日

女神の声

 ことばを

 ことばの響きを

 信頼しなさい

 大切にしなさい
 
 それは波紋となって

 どこまでも

 どこまでも

 拡がってゆくのだから・・・

 
 
 
はっとして

涙がこぼれた
 
 
これはきっと

かの女神の声。
 
 
深く、優しく、力強い
 
言霊の女神の声。
 

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2017年04月20日

夢を生きる

 催眠にかかった夢の中であっても
 
 生きたひとつの細胞が
 一粒の種となって
 体中をさまよっている。
 
 生きた細胞は
 一瞬止まったり動き回ったりしながら
 
 眠っている何千もの他の細胞たちを
 起こそうとしている。
 
 
 その生きた細胞の名は
 
 夢。
  
 夢が彼らを揺り起こす!
  
 そうすれば人々の家族が
 再び美しいオアシスを
 
 地球上に創造するようになる。
 
 
 〜アナスタシア 一族の書より〜

 
 
 
いま、わたしは “夢” を
思い出しつつある。
 
この “夢” とともに
目を覚まそうとしている。
 
 
夢を抱くこと。
夢を生きること。
  
それは、
何千年にもわたるこの世の「催眠」から
  
「目覚める」ということなんだ!
 
  

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2017年01月23日

真実は常に「軽く」

 
 あなたにとっての真実は、常に
 「軽く」感じられる。
 
 偽りは、常に
 「重く」感じられる。
  
 たとえそれが、
 どんなに厳しいものであったとしても。

 
 

アクセスバーズの伝道者、デーン・ヒアのメッセージ。
 
自分のわずかな人生を振り返っただけでも、
ほんとにその通りだなあ!と思う。


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2016年05月26日

「悲しみ」を味わう

この記事に出会ったのは一年前の今日だったのか・・・


■ 聖母マリア「自分自身とのつながりを・・・」

 
昨夜はまだ奥のほうに残っていた感情が出てきて
いっぱい泣いた。
  
「いい妻」、「いい母」、「いい人」・・・そしてとうとう
「いい子」でいようとすることも辞めてしまったけれど。
 
 
悲しみと罪悪感。
  
まだまだこびりついていた感情が
出てきたんだね。
  
逃げずに向き合って、めいいっぱい味わったら、
今朝はまた、新しい朝がきたよ。
 
 
 
 悲しみとつながり、悲しみの感情を味わってください。
 
 この小さな子どもを救えるのは、
 あなたしかいないことを知ってください。
 
 子ども時代の感情は今も、ダイレクトに、
 あなたの心に鳴り響いているのです。
 
 ・・・
 
 親は、あなたに対して不満を持っていたのではなく、
 自分自身に不満だったのです。
 
 親や他人の不満に対して、
 あなたが責任を感じる必要はもうないのです。
 
 そして親もまた、あなたの今の苦しみに対して、
 責任を取ることはできないのです。


  
 


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2015年09月05日

自分なんだ


無条件の愛とは

外側で何が起きていようとも、

自分のなかで勝手に
“至福”波動 を生産できること。


バシャール





世界に希望なんてなかった。
自分がそう見ようとするかどうかだった。

・・・

今まで会った人がすべて、
「自分なんだ」と気付いた。

なぜならそれらはすべて、
「私」を通して見た他人でしかないから。
 
・・・

感動して生きよう。

誰がなんと言ったって、
自分の信じた道を歩こう。

確かなものなんて、
そんなものないのだから。


EARTH GYPSY(あーす・じぷしー)


 
 
8月はまったく本を読まなかったのに、
9月に入ったら急に読みたくなって
 
読んでみたら一気に引き込まれてしまったのが
このEARTH GYPSY(あーす・じぷしー)でした。
 

たくさんの共感と、涙。

今の私に響いた言葉を、
久しぶりにシェアしてみたよ。
 


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若い双子姉妹のほんとの話。
おすすめ〜


 
 
posted by 千晴 at 18:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 響いた言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月16日

アドヴェントの気分


意識が外へ外へと・・・たくさんの人や世界と出会う喜びに向かっていた
春から秋の季節が過ぎ、

寒い冬を迎えた今、

それは静かに深く、内側へと入っていくような感じがしている。



ムードとしては、暗く、重くて、

そして孤独。



でもきっと、それでいいんだろうな。


これがアドヴェント(待降節)の気分というものなのかしら?と思ったりもして。



いまは言語造形に取り組んでいる時にだけ、こころに暖かな光が灯される。

いつの間にか、そしてどんどん、
これが私にとって大切な拠りどころとなっている。

同時に、いよいよ来週にせまった一つの節目が与えられていることが
とてもありがたい。


ただ、淡々と、

ことばに仕えること。

空間に仕えること。

その思いだけを大切に、私のすべてをさらけ出そう。


物語とともに 聖き夜に向けて


最後に今日は、週末に娘の幼稚園で行われるクリスマス会で朗読する
「礎(いしずえ)のことば」をご紹介します。

このブログを読んでくださっている皆さまへの、ささやかな、
ことばのクリスマスプレゼント♪

この詩を声に出して語るたびに、
いかにもか弱く、消え入りそうな、冬の私のこころと意識に、
いつも大きな光が降りてくるのです。



   時の変わり目に
 
   世の 精神の光が
   地のものの流れに加わった。

   夜の暗がりが
   司ることを終えた。

 
   明るい昼の光が
   人のこころに射し込んだ。
 

   光

   それは暖める
   貧しい羊飼いのこころを。
 

   光

   それは照らす
   賢い王の頭(こうべ)を。
 

   こうごうしい光
 
   キリストの日の輪


   暖めよ

   わたしたちのこころを。


   照らせ

   わたしたちの頭を。
 

   善くなりゆくように。

   私たちがこころから仕立て、

   私たちが頭から目指すところへ
   導こうとすることが。


      ルドルフ・シュタイナー「礎のことば」





キリストの誕生を待ちわびながら、

すべての人へ、

メリークリスマス!



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2009年12月11日

自分を癒そう

マイミクの琴絵由美乃さんが、91年にオックスフォード大学で行われた
マイケル・ジャクソンの講演録を紹介してくれました。

自らの厳しい人生経験と、それにも関わらず発せられる大きな愛とその強さに、
こころが震えました。


  自分自身が父親となり、ある日私は、我が子プリンスとパリスが大きくなった時、
  自分がどう思われたいと考えているのか自問しました。
  ・・・
  あの子たちが、あきらめざるを得なかったこと、
  わたしの犯した過ち、子育てを通じてこれから犯すだろう過ちを批判するのでなく、
  いい面、つまりわたしがあの子たちのために喜んで犠牲を払ったことに、
  目を向けてくれればいいと思います。

  わたしたちはみな人の子で、綿密な計画を立て、努力をしても、
  常に過ちをおかしてしまうものなのです。
  それが人間なのです。

  このことを考える時、つまり、どんなにわたしがあの子たちに、
  厳しく評価されたくない、いたらない面を見逃してほしいかを考える時、
  わたしは父のことを思わずにいられません。
  子どものころ、愛されたという実感はないけれど、
  父がわたしを愛してくれていたに違いないと認めざるを得ないのです。
  父はわたしを愛し、わたしにはそれがわかっていた。
  愛情を示してくれたことは、ほとんどなかったけれど。

  ・・・

  子育てはダンスのようだと言われます。
  親が足を一歩踏み出すと、子どもも足を踏み出す。
  ですから、親が子どもたちのために再び愛を捧げるだけでは、
  まだ半分しか意味がないのです。
  子どもの側も親を再び受け入れるよう準備しなくてはならないのです。

       マイケル・ジャクソン オックスフォード大学での講演(2001年3月6日)より


親になってみるまで、
私はずっと、父のことを非難しながら生きてきました。

そして親になってからは、
子どもを怒ってしまう自分のことを非難しながら生きていました。


  すべては許すことからはじまるのです。

  世界をいやすためには、
  まず自分自身をいやさなくてはならないからです。


・・・

今日は夫の誕生日。そして、私たちの結婚記念日です。

夫のおかげで、子どものおかげで、
親との関係を見直す機会が与えられました。

親に対して、長いあいだ握り締めていた怒りや非難やこだわりを手放して、
愛を選択する可能性が私のうちで開かれたのです。


実はそうやってきっと、私の周りにいるすべての人は、
自分に「愛する」可能性とその機会を、与えてくれているのでしょうね。


人の間で不安を感じたり、己の至らなさを嘆いたりしている、
そんな、今日のようなひとときでも、

耐え難い苦しみのなかにありながらさらに大きな愛を与え続けたマイケルの生き様が、
私に深い癒しと勇気を与えてくれています。


夕鶴 / 絵姿女房 12月23日(水・祝)

posted by 千晴 at 14:20 | Comment(10) | TrackBack(0) | 響いた言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月03日

14歳の私を支えた歌

思いがけず再会したこの曲。この人。
一瞬でこころが鷲づかみにされちゃいました。




やりきれないほどの孤独感。
生きることの苦しさ。

14歳の自分には、
それを説明することすらできなかった。

だけど、この一曲が、どれほどあのときの自分を支えてくれたことだろう。

そのくせ当時は詩の意味すら知らなかった(知ろうともしなかった^^)けれど、
あの歌声には、生きることを励ましてくれる何かがあった。

今、改めて調べてみたら、こんな詩だったんですね。


   越えなければならない川が 幾つもある
   だけど それを渡る道が 見つからない
   ドーバーの白い崖に沿って 
   さまよい 途方にくれる

   越えなければならない川が 幾つもある
   願いがあるから ここまで生きてこられた
   もうずっと 打ちのめされ続け 絶望の淵に立っている
   ・・そして俺は プライドのおかげで何とか生きている

   孤独が俺にまとわりついて離れない
   もう うんざりしてるのに・・
   彼女は 訳も言わずに去っていった
   ああ 俺には 泣く事しかできないのか

   行く手には 越えなければならない川が幾つもある
   でも どこから始めよう・・ 今はただ 時間稼ぎをしてるだけ
   恐ろしい罪を犯そうと
   何度も考えてしまった

   そうなんだよ 俺には 越えなければならない川が幾つもある
   だけど 渡る道を見つけられない
   ドーバーの白い崖に沿って
   さまよい 途方にくれる

   そう 行く手には 幾多の川
   そして俺は 何とか生きている 願いがあるから・・

            さ・や・ん〜sayang〜さんのブログより転載


ああ〜。

不思議です。
このジミー・クリフという、一人の人間の苦しみが、
ことばの意味すら理解していない14歳の私を支え励ます力となったのです。

またその歌声は、こうして年を重ねて、さらに深みを帯び、
15年後の私のこころに再びあかりを灯してくれました。

ああ、人間て、素敵ですね。


  苦しみは、深みのある人間をつくる。
  意識的に苦しみを受け入れ、イエスと認めると、
  苦しみの火は、意識のあかりとなる。

          エックハルト・トール「ニュー・アース」


posted by 千晴 at 22:14 | Comment(6) | TrackBack(0) | 響いた言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月20日

ハートの存在感

今、YouTubeでとっても話題になってるそうですが、

とにかくこの歌声 (と素敵な人となり) が、
胸のあたりにびんびん響いてしまって仕方ありません。

歌は心 / スーザン・ボイル



どうしてこんなに、こころが震えるんだろう。

ハートって不思議。心臓って不思議。
こんなにも人と人とが繋がりあえる、何かがある。

ココには何があるのかな。


posted by 千晴 at 18:57 | Comment(4) | TrackBack(0) | 響いた言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月16日

「ほう、そうか?」

今日は、前回紹介した白隠禅師について、私が感動したお話を、
自分自身の為に、記しておこうと思います。


「ほう、そうか?」

日本のある町に白隠という禅の老師が住んでいた。彼は人々の尊敬を集めており、大勢の人が彼の教えを聞きに集まってきていた。
あるとき、寺の隣の十代の娘が妊娠した。怒り狂った両親に、子どもの父親は誰だと問い詰められた娘は、とうとう白隠禅師だと答えた。 両親は激怒して白隠のもとに怒鳴り込み、
「娘は白状したぞ、お前が父親だそうだな」、となじった。
白隠は、「ほう、そうか?」と答えただけだった。

噂は町中どころか近隣の地域にまで広がった。
禅師の評判は地に落ちた。だが禅師は意に介さなかった。
誰も説法を聞きに来なくなった。だが禅師は落ち着き払っていた。

赤ん坊が生まれると、娘の両親は禅師のもとへ連れてきた。
「お前が父親なんだから、お前が面倒を見るがいい」。
禅師は赤ん坊を慈しみ、世話をした。

一年経ち、慙愧に耐えられなくなった娘が両親に、実は赤ん坊の父親は近所で働く若者だと白状した。両親はあわてて白隠禅師のもとへ駆けつけ、申し訳なかったと詫びた。
「ほんとうにすまないことをしました。赤ん坊を引き取らせてもらいます。娘が、父親はあなたではないと白状しましたんで」。
「ほう、そうか?」。
禅師はそう言って、赤ん坊を返した。


禅師は偽りにも真実にも、悪い知らせにも良い知らせにも、「ほう、そうか?」とまったく同じ対応をした。彼は、良くても悪くてもいまという瞬間の形をそのまま認めて、人間ドラマには加わらなかった。彼にとってはあるがままのこの瞬間だけがある。
起こる出来事を個人的なものとして捉えない。 彼は誰の被害者でもない。
彼はいまこの瞬間に起こっている出来事と完璧に一体化し、それゆえに起こった出来事は彼に何の力も振るうことができない。起こった出来事に抵抗しようとするから、その出来事に翻弄されるし、幸福か不幸かをよそから決められることになる。

赤ん坊は慈しまれ、世話をされた。
抵抗しないという力のおかげで、悪い出来事が良い結果になった。
つねにいまという瞬間に求められたことをする禅師は、時が来たら赤ん坊を手放したのだ。

                      エックハルト・トール 『ニュー・アース』より


・・・

私自身について。


思っていた以上に、こころが痛んでいたようです。

この一ヶ月、いろいろと前向きな捉え方を試みたりもしたけれど、
なにかまだ無理をしてしまっているようで、
ふとしたきっかけで、その痛みが強く、蘇る。

ヒナン、ハイセキ、ムシ、ソガイ、コドク・・・

ネガティブな感情に押しつぶされそうになって、
身体中が痛み、泣きはじめる。

「どうしたら傷つかずに、人の間で生きられるのだろう」

   ・
   ・
   ・
 
  起こる出来事に、抵抗しない、
  起こる出来事を、個人的なものとして捉えない、


そのしなやかさと平安を、私もきっと今、ものにしよう。


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posted by 千晴 at 21:00 | Comment(9) | TrackBack(0) | 響いた言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月11日

踊りと言語造形の世界

「藪の中」チラシ、できました!

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今回は無償でチラシ作成を担ってくださる方が現われて、感謝感謝です!
またチラシだけでなく、音響や、衣装作りをしてくださる方にも次々と出会えて。
どれも私たちだけではできないことばかり。
ほんとうに、すべてが天から降りてきたような恵みです。
神さま、皆さま、ありがとうございます!!
(せっかくなのでこの素敵なチラシを配っていただける方も募集中です〜♪)

そしてあとは、役者ががんばるのみですねー!新たに気持ちを引き締めなくちゃ!


さて今日は、先日ご紹介した『日本の舞踊』から、
実際に私のこころをときめかした部分を少し掲載してみます。

これが私の目指すところ。
私はこの世界を、「踊り」でなく、「ことば」の世界で生み出したい。


  「虫の音」は、ドラマも物語りもない。
  ただ庭に鳴く虫の音を聞きながら、男を想う女の姿を描いた小品である。
  いわばスケッチにすぎない。
  私の内部におこった変化は、それだからこそおこったといえる。

  「虫の音」を見ていた私に、不意に、
  井上八千代の、あの人形じみた、ぶっきら棒な「直線的な動き」の身体が、
  世にも美しいものに見えたのである。
  それまで美しいと思ったことがない、あの身体がである。

  目の前の、目がとらえている身体の線、輪郭というものがひろがって、
  その線の輪郭の向こうに、どこまでも無限につづく、奥深い、
  さまざまな輪郭の重なりが見えた。

  その時、井上八千代の身体は、そこにある物質的なものではなくて、
  幾重にも動きの可能性を秘めて、遠くひろがる幻想的なものであった。
  それが実に美しかった。

  虫を聞きながら立つ女の姿、後姿。
  別に美しくもなんともないその姿の、
  身体から光彩のように秘められた美しさが見える。
  その美しさに、私はひきこまれてしまった。

  これにくらべれば、目に見える美しさ、そこにあるフォルムの美しさなぞ、
  なんと表面的で、浅薄なものか。
  そこで私は単に美しい形というような視点から離れていった。
  なぜならば、この井上八千代の美しさは、
  味わっても味わいきれぬ深さ、無限のひろがりをもつものだったからである。

  ・・・

  あの一つ一つの、制約され、きりつめられた動きには、
  おそろしい瞬発力とそれを支えるものがかくされていたのだ。

  静止した姿に、動きがあり、その動きが造形力になっていたのだ。
  フォルムが美しいかどうかが問題ではない。
  リアルな描写であるか、あるいはドラマティックなものであるかも問題ではない。
  問題なのは、この力である。
  この力こそ、現にそこにある、目に見える身体の向こうに数多くの身体の動きを
  想像させ、身体を二重三重のものとしていた。
  その力が、歌舞伎座の広い空間を切りさいたのである。

  ・・・

  「虫の音」といい、「山姥」といい、井上八千代の舞台では、
  目に見えないものが、いかにつよい力をもっているかを知る事件であった。


              渡辺保著 『日本の舞踊』 「お腹どす―井上八千代」より


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かっこいいな〜〜
くじけそうになったときも、これを見てまた力をいただくことにしようっと!
posted by 千晴 at 17:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 響いた言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月25日

自分の外とは

日々生きていて、様々な人や出来事に出会います。
特に人との出会いについて、私は最近あることを感じたり予感していました。

それは、自分が出会った人のことを思うとき、
よい面をイメージしたり、尊敬や信頼、讃えたりしていると、
その人は会うたびにどんどん、そのような人になってゆく。

逆に、出会ったときの経験や印象から、
悪い面をイメージしたり、非難や批判、嫌な風に思ってしまった場合も、
相手もしくは自分とその人の関係は、どんどんそのようになってしまう。。

・・・どうでしょうか?
不思議だけどこんな経験、他にもある人いないかしら?

そんなことをただ漠然と、なんとなく感じ、考えていたら、
自分の元に、こんなメッセージが届きました。
是非またここでもシェアさせてくださいね。


「世界一風変わりなセラピスト」  by Dr. Joe Vitale

二年前に、ハワイに住む一人のセラピストの話を聞いた。
その人は触法精神障害者(訳注:刑法罰に問われたものの、精神障害を理由に不起訴、
減刑、あるいは無罪となった人のこと)の病棟に収容されていた人たち全員を、
誰一人診察することなく癒したそうだ。
その心理学者は患者のカルテを読み、
自分がどのようにしてその人の病気を創りだしたのかを理解するために、
自分の内側を見たのだそうだ。
彼が自分自身を改善するにつれて、患者も改善したという。


最初にこの話を聞いたとき、都市伝説だと思った。
自分自身を癒すことによって他の誰かを癒すなんてことがどうやってできるだろう?
最高の自己改善の達人であったとしても、
どうやって触法精神障害者を癒すことができるだろう?


私には理解できなかった。
論理的な話ではなかったので私は受け入れなかった。


しかし、一年後に同じ話をまた聞くことになった。
セラピストはホ・オポノポノというハワイの癒しのプロセスを使ったのだという。
初めて聞くものだったが、忘れることができなかった。
もしその話が本当なら、私はもっと知らなければならなかった。


私は「完全な責任」とは、
私の言動に対する責任は私にあるという意味だと前々から理解していた。
その向こうのことは、自分の管理を離れていると。
ほとんどの人たちは完全な責任というものをそのように考えているのではないかと思う。
私たちは自分の行いに対して責任があるのであって、他の人の行いに対してではない。
精神病の人々を癒したハワイのセラピストは、
私に完全な責任についての進化した新しい観点を教えてくれることになった。


彼の名はイハレアカラ ヒュー レン 博士。
私たちは最初の電話でたぶん一時間は話しただろう。
彼にセラピストとしての仕事の全貌を語ってくれるようお願いした。
彼はハワイ州立病院で4年間働いたことを話してくれた。
触法精神障害者を収容していた病棟は危険なところで、
心理学者は月単位でやめていき、職員はよく病欠の電話をかけてきて、
やめていく人もいたそうだ。
人々がその病棟内を歩くときには、患者に攻撃されないように壁に背中をくっつけて通ったらしい。
それは生活するにも働くにも訪ねるにも心地よい場所ではなかった。


レン博士は一度も患者を診なかったのだそうだ。
彼は診療室を持って患者らのファイルに目を通すことには合意した。
それらのファイルを見ながら、彼は自分自身に働きかけた。
彼が自分自身に働きかけるにつれて、
患者に癒しが起きはじめた。

「2、3月後には、以前は手足を縛られていた患者たちが、
自由に歩くことを許可されていました」
と彼は言った。
「多量の投薬が必要だった人たちは、投薬をやめつつありました。
そして退院の見込みのなかった人たちが退院していったのです。」


私は畏敬の念に打たれた。


「それだけではありません」彼は続けた。
「職員が仕事に来ることを楽しみ始めたのです。
常習的欠勤や退職は消え去りました。
患者は退院していくし、職員全員が仕事に来るようになったので、
最後には必要以上の人数の職員が残りました。
現在、その病棟は閉鎖されています。」


ここで私は問わなければ気がすまなかった。
「それらの人々に変化をもたらすような何を、
あなたは自分自身の中で行っていたのですか?」


「私は彼らを創りだした自分の中の部分(パート)を癒していただけです」
と彼は言いました。


私には分からなかった。


レン博士は説明した。
あなたの人生への完全な責任とは、
あなたの人生の中の全てが――
単にそれがあなたの人生に存在しているというだけの理由で―
―あなたの責任なのだと。
文字どおりの意味で、全世界があなたの創造なのだと。


ヒャー。これはなかなか納得できるものではない。
自分の言動が自分の責任だということと、
私の人生におけるあらゆる人の言動の責任が私にあるというのは
全く別の話ではないか。
それにもかかわらず、実際のところは、
もしあなたが自分の人生の全責任を負うならば、
あなたが見たり、聞いたり、触れたり、その他どんな方法であれ、
あなたが経験する全てがあなたの責任なのだ。
それはあなたの人生の中にあるのだから。


これはつまり、テロリストの活動、大統領、経済 ―
・・・あなたが経験していて好きではないこと・・・を癒すのは、
あなた次第だということである。
言ってみれば、それらは存在してはいないのだ。
あなたの内面からの投影である以外には。
問題は彼らに関するものではなく、
あなたに関するものであり、
それを変えるには、
あなたはあなたを変えなくてはいけないのだ。

このことは把握するのも難しく、
ましてやそれを受け入れて実際に生きることはもっと難しいとわかっている。
非難のほうが、完全な責任よりもはるかに簡単である。
しかし、レン博士と話すにつれて私は気づき始めた。
彼にとっての癒し、そしてホオポノポノにおける癒しとは、
あなた自身を愛することなのだと。
あなたが自分の人生を改善したければ、
あなたは自分の人生を癒さなければならない。
もしあなたが誰かを癒したければ
―たとえそれが精神障害を持った犯罪者であっても―
あなたはそれを、自分自身を癒すことによって行うのだ。


どのようにして自分自身を癒すことに取り組んでいたのかと私はレン博士にたずねた。
患者のカルテを見ていたときに、彼は具体的には何をしていたのだろう?


「私はただ『ごめんなさい(I'm sorry)』と
『大切だよ(I love you)』を
何度も何度も言い続けていただけです」と彼は話した。

That's it?  それだけ?

That's it.  それだけ。


あなた自身を愛することが、
あなた自身を好転させる最も素晴らしい方法であり、
あなた自身を好転させるにつれて、
あなたはあなたの世界を好転させるということが判明した。

これがどのように機能するかの簡単な例をあげてみよう。
ある日、誰かが私を不愉快にさせるメールを送ってきた。
過去そういう時には、私は自分に感情的な反応を引き起こすものについてワークしたり、
あるいは意地悪なメッセージを送ってきた人に理を説こうとすることで処理したものだった。

今回私はレン博士のメソッドを試すことにした。
私は「ごめんなさい」と「大切だよ」を声に出さずに言い続けた。
特定の誰かに向かって言ったわけではなかった。
私はただ愛の精神を呼び起こし、
この外側の状況を創り出した自分の中を癒そうとしただけだった。


一時間もしないうちに同じ人からメールが来た。
彼はさっきのメッセージについて謝罪していた。
私は謝ってもらうために外側に何も働きかけをしていないことを覚えておいてほしい。
私は返事すら書いていなかったのだ。
にもかかわらず、
「大切だよ」と言うことで、
私はどういうわけか彼を創り出していた自分の内側を癒すことができた。


その後、私はレン博士が開いたホ・オポノポノのワークショップに参加した。
彼は今では70歳で、優しい祖父のようなシャーマンと見なされていて、
少々引きこもりがちである。
彼は私の著書『The Attractor Factor』をほめてくれた。
私が自分を向上させるにつれて、私の本の波動が上がり、
人々が本を読むときに皆それを感じるだろうと彼は語った。


要するに、私が向上すると、
私の読者も向上するということだ。


すでに売られて外に出ている本についてはどうなんですか?と私はたずねた。


「それらの本は外にあるのではないよ。」
彼が持つ神秘の知恵に私はとても驚いた。
「未だにあなたの中にあるんだ」

つまり、外なんてないということだ。


この高度な技術を、
それが値する深さとともに説明しようとしたら、本が一冊書けるだろう。
あえて言うなら、
あなたがあなたの人生の中のどんなものでも改善したいのなら、
見るべき場所はただひとつ、
あなたの中である、ということだ。

"When you look, do it with love."

「あなたが見る時は、愛をもって見るように」


参考:
http://www.mypress.jp/v1/i/story.php?writer_id=jj00&story_id=90608
posted by 千晴 at 14:01 | Comment(17) | TrackBack(0) | 響いた言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月13日

未来の衝動

9.11の特別番組を見てから、繋がるように「響いた言葉」に出会いました。



 「僕になにが出来るんやろう?」
 「何も出来へんよ、お前みたいなちっぽけな奴は」
 「いや、そんなことないよ、出来ることがあるよ」

 「お前 一人が動いたところで何も変わへんよ やめとけやめとけ」
 「そんなことないよ 俺には仲間がいる」

 「口で言うのは簡単なことや、世界を変える!って
  一体 どうやって変えるねん?」
 「でも、言うことによって、意識が育つこともあるで」

 「じゃぁやってみろよ 世界を変えてみろよ」
 「あぁ 自分がやれることをやってみるよ」

 「どうしたら世界が変わるんやろう?」
 「それは、自分の愛に問いかけたら分かるで」

 「愛に?」
 「そう、自分の愛に」

 「どうやって問いかけるの?」
 「どうなったら嬉しい?って聞くねん 自分の愛に」

 「世界がどうなったら嬉しい?」
 「戦争が無くなったら嬉しいよ」

 「じゃぁ 今 どこの国が戦争をしてる?」
 「戦争をいつもけしかけているのはアメリカやな」

 「戦争をするためにはお金が必要やねん、でもアメリカは赤字でお金がないねん、
 そやけど日本がアメリカの国債を買って支えてんねん」
 「国債?」
 「お前が一生懸命働いて銀行に貯金すると、
 そのお金で日本の国がアメリカの国債を買ってるねん」
 「つまり、銀行に貯金すると、そのお金は回り回って、
 ミサイルに変わるっていうことかいな?」
 「そうや、もしも、お前が戦争を止めたいと思うんやったら、まず、
 銀行からお金を卸すことや」
 「でも、家においておくと心配やん」
 「そうやな でも中には滋賀銀行のように大丈夫な銀行もあるし、
 労金にお金を移すと、大丈夫!アメリカの国債を買われるってことにはならんよ」

 「後な 知らないうちに 買い物をすることによって、戦争をサポートしていることもあるで」
 「それはどういうこと」

 「イスラエルっていう国がパレスチナを攻撃したり、この前もヒズボラはテロリストだって
 レバノンを攻撃したやん」
 「あれはどういうこと?」
 「あれはな、イスラエルのスパイがレバノンに忍び込んでスパイ活動をしていたんやって、
 それがバレて二人は捕まったんや。これは当たり前のことやわな、それをイスラエルは
 レバノンがイスラエル人二人を拘束している、まるで拉致をしているかのように言って、
 その拘束しているヒズボラは敵だ許せないって言って、レバノンを攻撃したんや。
 「無茶苦茶やな」
 「そして、罪の無い子供達をいっぱい殺してる。
 クラスター爆弾っていう、卑怯なミサイルも打ち込んでる。
 それがイスラエルって国が今、やっていることや。
 そのイスラエルっていう国を支援している企業がいっぱいあ るねん。
 もしも、イスラエルにお金が無かったら、武器も買えないし、戦争も出来ない。
 ならば、そのイスラエルをサポートしている企業の商品を買わないっていうのも
 戦争を止める力になるかも知れんで」

 「どんな企業がイスラエルを応援してんの?」
 「有名なのは、スターバックスコーヒー、コカコーラ、マクドナルド、マイクロソフト、
 インテル、ディズニー、IBMもそうや、エビアンの水を飲むと、
 イスラエル支援にもなるで。詳しいことは、ホームページを見れば分かるよ」
 http://palestine-heiwa.org/choice/list.html

 「不買運動ってネガティブなイメージがあるな」
 「大事なのはイメージなんか?あまりそういうことにとらわれる必要はないんじゃない。
 それこそ、自分の愛に聞けばええねん、そう、誰かに言われたからではなく、
 自分に問いをかけるねん」

 「マクドナルドのハンバーガーを食べたり、コカコーラのジュースや
 スターバックスのコーヒーを飲むことが自分の喜びならば、飲めばいいし、
 食べればいいんじゃないかな?
 その売り上げで人が殺されようが飲んだらええねん食べたたらええねん」
 「でも 俺はおいしいと思わんわ だってその売り上げで人が殺されるんやったらへこむ」

 「全部、自分で選んで行けばいいよ 誰になんと言われても
 自分に正直に生きればいいんだ」

 「知るっていうことは 大事やな」
 「そうやな 知ることから 変わることがいっぱいあるな」
 「でも、知るだけじゃないも変わらん 動くかどうかやね」
 「まさに 簡単なことからやってみるわ」

                  てんつくマン9/11の日記 「戦争は嫌やから、僕は選ぶ」




 「天使が人間の中に未来の理想を呼び起こそうとしている」
 ということを、人々は認めたがらないかもしれません。
 しかし、事実はそうなのです。
 そして、アンゲロイがヴィジョンを形成する際には、まったく特定の原則が働いています。
 その原則とは、
 「将来自分のかたわらにいる他の人間が不幸な状態にあるなら、
 いかなる人間も心安らかに幸せを享受してはならない」

 というものです。
 ここでは、物質生活における社会の状態に関して、
 絶対的な友愛の衝動が、人類の絶対的な一体化の衝動が
 ― つまり、正しく理解された友愛の精神の衝動が支配しています。

                  ルドルフ・シュタイナー 「天使と人間」



私は、まだまだ目覚めていない・・
でも、確かに今、この世界で生きているんだな。

posted by 千晴 at 15:47 | Comment(12) | TrackBack(0) | 響いた言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月16日

魂が揺れ動く喜び

絶対的なリーダーなんて、いらない。
特別な救世主なんて、いらない。

大事なのは、一人一人が救世主であることを思い出すことである。
一人一人がまず、自分に頼ることである。

どこかの教祖や、カリスマと呼ばれる人を信じるのではなく、
自分を信じることである。


動き出したとき、当然、一人一人結果は違う、それでいい。
沢山の結果を出した人がえらいとか、関係ない。

動いたという事実が素晴らしいのだ。


他人との勝ち負けの中に、魂が揺れ動く喜びはない。

魂が揺れ動く歓喜を覚えるのは、
分かち合えた時、一緒に目標に向かっていることを、感じた時。

目標が世の中を面白くすることであれば、
誰かが素晴らしいことをやったならば、
みんなで絶賛し、励まし、支えてゆけばいい。

誰かが動いたことを、ほめてゆこう。

スピードは一人一人違っていい。
人と比べるより、人から学んで成長してゆこう。


           2006/05/15 てんつくマンの日記より 
posted by 千晴 at 15:12 | Comment(13) | TrackBack(0) | 響いた言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月18日

創造

自分を見つめ始めると、
時に疎かになるのが現実的に行動することです。
目の前の現実と、それを起こした自分の内面とを、心の目で捉え始めると、
学びがすぐにやってくるようになります。
しかし、ひとつの体験に感謝し、それが知恵となったとしても、
これで終わりではありません。

気づいて、学んで、知恵を得たとしても、
それを身を持って体験して生きなければ、
本当に知恵がついたとはいえません。
人生には似たような体験が繰り返し起こります。
人を変え、状況を変え、時を変えて、様々な角度から学びを得ていきます。
得た学びは、次には身をもって現しましょう。
新しい選択をし、新しい手段を使い、自分自身を創造するのです。

・・・

どんな学びも気づきも、日常の中にこそ、魂が生まれてきた本当の目的があるのです。
現実を力強く生きましょう。
生活の中に、気づきのチャンスが溢れています。
深呼吸して、感じて、気づいて、学んで、そして現実を生きるのです。


                 『ヒーリング レッスン』 寺尾夫美子
posted by 千晴 at 21:46 | Comment(10) | TrackBack(0) | 響いた言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月30日

「話をしていておもしろい人」

・・・
人がもっている経験や、その中から生まれたさまざまな想い、感覚は、
当人からみれば、ふつうで、なんのおもしろいことではないかもしれない。
でも、自分とはちがう他人から観れば、自分でおもうより、
よっぽど新鮮で、かけがえないかもしれない。
出して、みなければ、それは、わからない。

「考える力」があれば、

ファイル(=知識)は、スカスカでも、
いままで生きてきた自分の湖に何度でも潜りながら、
その場で、「考えて」、
「考えて」、あたらしく言葉を、生み出すことはできる。
相手に投げ返すことができる。

話しておもしろい人と、おもしろくないと感じる人の差は、
この「考える筋肉」を、常に常につかって鍛えて、
自分の中から新しいメッセージを浮上させられる人と、
せっかくあるポンプを鍛えておらず、トレーニング方法も知らされず、
萎えさせている人の差ではないだろうか。

せっかくある筋肉がつかわれていない。
本来、できることを、やれていないという状態を、
わたしは、はっきりと、「不自由」だと思う。

ファイルボックスに仕込んだ、既製品の言葉でやりくりしている人は、
会話は淀みなくすすんでも、
経験の湖にある、想いは、
自分の中で淀んだまま、解放されないままだ。
自分と、表現が一致しないのは苦しい。

表現とは、自分の外に表れ出た、人から観えるものすべて、
肉体も、着るものも、化粧も、たたずまいも、言葉も。

こどものころ、自分の内面はこうなのに、
それと全然違う髪型に切られてしまったときのくやし泣きをいまも思い出す。
あれは、こども心に、「表現と自分の不一致」のつらさだ。

常に常に、自分の湖をくみ上げるポンプ、
つまり、考える筋肉を鍛え、その連携をよくしている人は、
しだいに、自分の想いと、ピタッと言葉が一致してきて、
自由だ。その解放感は、人をも、すがすがしくさせる。

表現とその人の一致、
そのための、「考える力」、それがある人を、
私は、心底、自由で、話のおもしろい人だと思う。


          「大人の小論文教室。」-Lesson254  山田ズーニー
posted by 千晴 at 14:41 | Comment(2) | TrackBack(0) | 響いた言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月23日

ただこの一日を

人が生きて、描き、練り、暮らしを良くする芸術ほど、栄光ある芸術はないでしょう。
日々の暮らしの質を高めることこそ、最高の芸術です。
誰もが自分の暮らしを、細部まで高揚した真に価値ある朝の時間をもって熟考し、
勇気を出して良き暮らしを作り上げるのです。
私たちは、身に付けた限られた知識をすぐに使い果たすでしょう。
進めなくなる時もあるでしょう。
その時、どう進めばよいかは、信託が伝えてくれるでしょう。

私が森に行って暮らそうと心に決めたのは、
暮らしを作るもとの事実と真正面から向き合いたいと心から望んだからでした。

それら無限の時、場所、そして機会のすべては、
今、私たちが生きる目の前にあり、目の前で起きています。
神も今、きらきらと輝いています。
あらゆる時代と比べて、今を越えて偉大であったことはありません。
私たちは、身近な真実を雨あられとかぶり、受け止め、
美しさと気高さを確かに感知できます。
宇宙は、私たちの問いに素直に答えます。
私たちが真実を問う旅をゆっくり楽しみ、あるいは大急ぎで進むためのレールは
敷かれています。

日々を、自然と同じように着実に進めばいいはずです。
朝は早く起きて食事はとらないか、とるのならゆっくり楽しみ、
穏やかに、あわてずに過ごしましょう。
仲間がやってくれば悠々と迎え、去るなら送り、
何事かを伝える鐘の音や子どもの泣き声が聞こえたら、
早とちりせずに聞いていましょう。

ただこの一日を、素晴らしい日にしようと、心に決めておけばいいのです。


                    「ウォールデン森の生活」 H・D・ソロー / 今泉吉晴訳
posted by 千晴 at 21:59 | Comment(4) | TrackBack(0) | 響いた言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月18日

「しゃべることについて」

しゃべることについてお話を、とある学者が言った。
彼は答えて言った。
心が平和でなくなったとき
あなたがたはしゃべる。
心の孤独に耐えられなくなったとき
あなたがたは唇に生き
音は気散じと慰みになる。
おしゃべりの多くの中で
思考(かんがえ)は半ば殺される。
思考は空間(スペース)を必要とする鳥だから、
ことばの籠の中では羽をひろげるだけで
飛び立つことができない。

ひとりで居るのを恐れて
話好きの人を探し求める者がある。
ひとりで黙っていると、裸の自己が見えるから
それを逃げたいと思うのだ。
ある者は自分でもわからずに、
知識も予感もなく話しているうちに、
ある真理をあきらかにすることがある。
かと思うと、うちに真理を抱きながら
ことばで告げない者がある。
彼らのうちには、リズムある沈黙をたもって
精神が宿っているのだ。
道端や市場で友だちに会うとき、
あなたのうちなる精神に導かせて
唇と舌を動かしなさい。
あなたの声の内なる声に
友の耳の内なる耳に語らせなさい。
なぜなら友の魂はワインの味をおぼえるように
たとえ色が忘れられ、器が失せた後でも
あなたの心の真実をおぼえつづけるだろうから。


             ハリール・ジブラーン
posted by 千晴 at 22:27 | 大阪 ☔ | Comment(4) | TrackBack(0) | 響いた言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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