2016年07月26日

目覚めへの案内者


自転車で通りがかった桜並木。
途端に蝉の大大大合唱に包まれる。

 
一瞬にして、頭が「わーーーーん」となって
 
《時間》 が止まり
 
意識が
 
《いま》 という無の領域、
 
本来の領域へと連れ戻される。
 
  
何年もの間、
 
土の中で地球のエネルギーを蓄えて
 
地上に現われてからの数日間は
 
全身を震わせてそのエネルギーを放射し
 
あの大きな気持ちのいい鳴き声と周波数を
 
地上の生命たちに与えてくれる。
 
 
蝉。
 
ああ、なんという存在だろう!
  
 
ともすると《いま》 を忘れ、
あれやこれやと思考の幻想に飲み込まれてしまう私たちを
 
いつもほんとうの位置に戻してくれる。
 
 
彼らはきっと
 
目覚めへの案内者だ。
 

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2016年07月18日

天使と悪魔の見分け方

最近、 「闇(悪魔)の力」 がこの物質世界で行ってきた様々なことが
開示されてきています。
 
私自身、それをきっかけに目覚めたことや
より 「光(天使)の力」 のサポートを実感できるようになったこともあり、
この流れはとても大切なことだと感じています。
 
 
けれど、もう一つ
ここを踏まえることも大事だな・・と感じたので
書いてみることにしました。
 
  
“悪魔” というのは、
社会や組織にも働きかけてくるものだけれど
 
私やあなた、という 「個人」 にも
日常的に働きかけてくる存在です。
 
 
さらにその作用も大きく分けると二種類あって
 

 一つは、
 人を「傲慢」な方向へ引っ張る力 (ルシファー)
 

 もう一つは、
 人を「無価値」な方向へ引っ張る力 (アーリマン)

 

というように、R.シュタイナーは示しています。
 
 
どちらもとても巧妙に、私たち人間ひとりひとりのこころに
働きかけてきます。
 
 
でね、
私はシュタイナーに出会ってから15年以上の日々を
この存在と働きかけを意識しながら生きてきたのだけど
  
天使と悪魔の働きかけの違いとその見つけ方を
自分なりに見出したのです!(^^ゞ
 
 
それは・・・
 
 
 悪魔の声は、 「厚かましい」。 
 
 天使の声は、 「つつましい」。

  
 
ということ!!! (≧∇≦)
 
 
一見、どんなに尤もらしく、実しやかで、正当ぶったことばでも
「厚かましさ」を感じるメッセージには、
間違いなく悪魔の力が潜んでいるのです。
 
人の「恐怖」を煽ったり、動かそうとか、利用しようとしていたり・・・
  
 
代わりに、人の主体性をどこまでも信頼した
「つつましさ」を感じるメッセージには、
天使の力が潜んでいます。
 
人のこころを真に温めたり、励ましたり、自由と解放をもたらしたり・・・
 
 
このモノサシを日常のなかで生かしてゆくと、私自身、
無意識に悪魔に支配されることが減ってゆくという実感があったので、
今日は思い切ってシェアしてみました。
  


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※ 
写真はスイスに現存するR.シュタイナーの彫刻作品、『人類の代表者』。
上方にはルシファー、地下にはアーリマンが、それぞれ人間を誘惑しています。
 

 
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2016年07月14日

花、ひらく

なんて清々しい朝!
 
蝉が大合唱を始める前の
ほんの清らかなひととき。
 
 
それを迎えることのできた喜びと
果てしなく広々とした解放感を感じた朝。 
 
 
人が自分をどう扱ったかとか
自分の仕事を評価してくれなかったとか
考え方や感じ方が違うとか
 
 
そういうものへの恐れと呪縛から
また一つ自由になったことを感じた朝。
 
 
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2016年07月10日

手紙が産みだす世界

わーい♡ (≧∇≦)
 
私のプロフィールを読んでくださった海外にお住いの方が
文通してくださることになったよ〜♪
 
この「文通」というものに
もう二年ほどすっかりハマっておりますが
 
手で書くことばのやりとり、人と人とのエネルギー交換・・・
そこに生まれる新しい時空間は
 
お互いの世界と関係性を、とても豊かにしてくれるのです。
 

こんな素敵な文化が、ヒトに与えられていることに
こころから感謝を込めて。
 

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2016年07月08日

自分軸

なんかまだ、
 
「人の期待に応えよう」とか、「相手を喜ばそう」とか、
 
反射的に 『他人軸』 で動いてしまう自分がいるんだなあ。
 
『いい人』を、辞め切れてない。。(>_<)
 
 
それで痛い目に合うスピードも加速している気がする。
 
 
「どんなことにも流されず、
 
 些細なことまで 『自分軸』 で生きよ!」

 
 
たぶん、そんなメッセージ。 
 

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2016年07月06日

内なるカオナシ→コダマが教えてくれたこと

 
「どうせ・・どうせ・・どうせ自分は・・・」 (ガサガサ声)
 

  (どうせ、なに?)

 
「・・・誰からも相手にされない、愛されない・・・」
 
 
  (見つめ続ける)
 
 
「ぼくは・・ぼくは・・ぼくは・・・」 (ふつうの声)
 
 
  (ぼくは、なに?)
 

「・・・悪者じゃない・・・」
 
 
  (さらに見つめ続ける)
 
 
「ほんとは・・ほんとは・・ほんとうは・・・」 (透き通る声)
  

  (ほんとうは、なに?)

 
「・・・きみの、光だったんだ・・・」 
 
 
 
カオナシは、ほんとうは、私の内なる「光」だった。
 
けれど、ヒトとしてこの世に降りてから
 
その光をありのままに放射すると、
 
周囲から非難・攻撃され、
 
私はとても傷ついて、悲しみ、怯えるようになった。
 
 
だからカオナシは、自らを黒くして、
 
その光が外に漏れぬようにしたのだった。
 
 
ところが、カオナシにとってそれは “我慢” だった。
 
そのために
 
周囲に「光」をありのままに放射している人をみると
 
羨ましくて、“嫉妬” をするようになった。
 
 
そして結果的に
嫉妬のエネルギーは、
 
カオナシも、私をも苦しめるようになってしまった。。
 
 
嫉妬。
 
私にとってそれは、
するのも、されるのも、最も恐れていたものだった。
  
だからこそずっと
内なるカオナシの存在に目を背けていたんだと思う。
 
けれどもそれは確実に、
自分の内にあったんだ・・・
 
 
もう目を背けまいと、見つめ続けていたら
カオナシはみるみる変容してゆき、
 
最後はまるでコダマのように白い、 
「光」の存在に戻っていったのだった。
 
 
コダマ(カオナシ)くん。
 
今までどうもありがとう。
私を守るためだったのに、今まで目を背けててごめんね。
 
これからは語らいながら、ともに生きてゆこう。
  
  
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2016年06月29日

カオナシからコダマへ

私の内に発見した「カオナシ」くん。
 
その後ずっと見つめ続けていたら
 
色も、声も、ことばも、変容していって
 
「コダマ」みたいになった。


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2016年06月28日

「手紡ぎ」布 で 「手縫い」 する

日曜日、突如やりたくなって
途中のままだった手縫いのランテンパンツを仕上げた。
 
洋裁は好きだったけど、
手縫いで全部作ったのは初めて♡
 
 
な、なんだ、この癒しの作用は!!!
 
 
「手縫い」ってすごい〜! 気持ちいい〜!(≧∇≦)
 
 
しかも出来上がって履いてみると・・・
友人が譲ってくれた「手紡ぎ」の布の感触がまた
柔らかくて気持ちいい!
  
「手紡ぎ」ってすごい〜! 最高だあ〜〜!(≧∇≦)
 

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2016年06月26日

カオナシと出会う

ここ数日は、あるお馴染みの苦しさと向き合っていた。
  

 自分のために人を「利用」しようとする、
 エゴイスティックな人。
 
 自分の話ばかりで、
 相手のことは全く知ろうとしない「無関心」な人。

 
そんな人たちに触れて生じた
悲しみや怒り、そして虚しい気持ち。
 
 
おそらく本人たちは無意識で、
たぶん気付いてもいないのだろう。
 
でも・・・無意識ということは、
もしかしたら私も知らずに人にしているのだろうか?
 
 
人と、人が、真に繋がり合えない悲しみ。 
  
 
・・そんなことを考えているうちに、
とても苦しくなってしまったあるとき
 
  
明け方の夢で、
内なる女神が教えてくれた。
 
 
「人との間で痛みや苦しみが生じたときは

 その相手を見るのではなく

 痛みを感じている自分自身の “内なる姿” を見るといいよ」

 
 
そっか!と思って、
改めてその時々の内なる自分の姿を見つめてみると・・
 
 
・・・いた。
 
 
虚ろな表情で、猫背になってよろよろしている
小さなカオナシみたいな存在が。
 
 
私がフォーカスするべきなのは、
こちらのほうだったんだ。
 
   
この存在を、大切に見守り続けてみようと思う。 
 

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2016年06月21日

使命

2016年、夏至。
38歳になりました。 
 
どしゃぶりの雨が去り、明るい太陽が顔を出して
街の木々たちは、目を見張るほどに輝きを放っていて。
 
そんな今日、
わたしは自分の「使命」をはっきりと自覚しました。
 
 
それは、見えないところで私たちを守り、支え続けてくれている
光の存在たちと宇宙の兄弟たちの
 
深くて、強い、愛の力に気が付いたから。
 

目には見えないけれど 
彼らのおかげで、今もここに地球は在り、日本は在って、
そして私たちは生かされている。 
 
今日という日のこの生は、
彼らがもたらしてくれた奇跡のような一瞬だったんだ!
  
 
だから自分は、地球人として
「言語造形」を通してその方たちの仕事を手伝ってゆきます。
 
ヒトの肉体を持たない彼らにはできない仕事を
自分が担うのです。
 
わたしにとってそれは、
ことばと、肚と、喉と、舌と、生命体をつかって
 
この世に「物語」の精神を、真の「言霊」を、
響かせてゆくこと。
 
 
自分はそのために生まれ、
今ここにいるのだ。
 
ということを、はっきりと認識しました。
 
 
  
それもいつかは変わるのかもしれないけれど
 
 
とにかく今のわたしは、
 
天界におられる「物語」の精神とその願いとを
できうるかぎり受け取って、身篭って、出産してゆきます。
 
 

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2016年06月12日

内なる男と女の統合

先日の話の、その後。

 
この10日間で、その風景はどんどん変化を遂げた。
 
『内なる母(女神)』 に “幼児” のように甘え
【母なるエネルギー】を存分に浴び続けたら
 
一週間ほどで、たぶん私は “大人” になったようだ。^^
 
 
また、これはまだ書いたことがなかったのだけど
 
ある頃からこのインナービジョンに
 
『内なる男』 も現れて、
私は内側に【男性エネルギー】の不足を感じると
その存在から存分に与えてもらうようになっていた。
 
 
※※※
 
 
ある日のこと、
自分が “幼児” から “大人” になって間もないときの
朝のまどろみのなかで
 
なんと、その “二人” がしっかりと抱き合っていたのだ!!
 
 
“二人” の関係性については
これまで未知というか、別物?な感覚があったのだけど
 
その様子を見ていたら、なんだかとてもほっとするような
喜びに包まれたのだった。
 
 
 
そして翌朝になると
 
今度は二人の根元がねじれるように巻き付きながら
“一つ” になっていたのだった。
 
上半身はまだかろうじて “二人” だったけれど、
でもしっかりと抱き合っていて、その情熱のためか
全体がぐるぐると回転しているようだった。
 

 
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そして、
さらにその翌朝。
  
ついに、 “二人” は完全に合体して “ひとつ” になっていた。
 
ぐるぐる回転は超高速になり
なんと、『白い龍』 となって天に昇って行ったのだ。
 
 
龍は、ものすごい喜びと解放感に満ちた様子で、
天空を飛び回っていた。
 
 
「あの二人、龍だったんだ・・・」
 
 
龍は、「やっとこの姿に戻ることができた」と云わんばかり。
とてもとても嬉しそうだった。
 
なんだか姿を見ているだけで、私も嬉しくなった。
 
  

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それから再び 『金色の泉(黄泉)』 に目を向けてみると・・
 
泉はいつも以上に濃い金色になって輝いていて
湯気のようなものまで立ち上っていた。 
 
ここに飛び込むのにはまた少したじろいだけれど、
 
再び勇気を出して思いっきりダイブしたら、
とても温かくて、気持ちがよかった。
 
 
  
※※※
  
 
なんとなくだけど、
 
このビジョンの変容も
ここで一区切りを迎えたような気がしている。
 
 
そして私はますますこの【内なる風景】の深みに
参入してゆく。
 
 
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2016年06月09日

周波数なるもの

音叉、純正律、ソルフェジオ・・
 
ここのところ「周波数」なるものに関する情報が
どんどん私の元へもたらされ
理由は分からないのだけど、とても気になっていました。
 
そんなとき、この記事に出会って「ピン!」
 
 
音やことばの響きだけでなく、
「人の意識レベル」 にも周波数があって

 
しかもそれを測定できるというのです。
 
 
●廣瀬仁さんブログ 「意識レベルの詳細」
 
 
早速、廣瀬さんにコンタクトをとって測定していただいたら
私のいまの周波数は 「732hz」 とのこと。わーい。笑
 

ただ、 「悟り」 というと大げさなイメージだけれど、
要は自然体で 「自分に嘘をついていない状態」 なのだとか。
 
 
周波数で世界を見つめてみるって面白い!
 

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2016年06月05日

しこめきたなき国?

すっかり憩うようになった私の内なる 「黄泉」
 

なんとあの『古事記』ではイザナギが
「いなしこめ、しこめきたなき国」 と言って
露骨に嫌悪感を表しているらしい。(>_<)
 
 
こんなに 《母なるいのちのエネルギー》 に満ちた祝福の空間なのに
イザナギには何故そのように見えたのだろうか・・・

と考えていたら
 
 
もしかしたらそれは
 
例えば “子宮委員長はるちゃん” の言動に
嫌悪や拒否反応を示す人たちもいる・・
 
という様なことかもしれないね。
 
 
と夫に言われ、なるほどと思った。
 
  
 
嫌悪感や拒否反応のその奥に 
ほんとは恐くて直視できない何かがあって

逃げずにそれと向き合ったとき
 
 
真の「黄泉」の扉は開くのかもしれないね。
  
 

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2016年06月04日

「金色の泉」 と 「女神」 のその後


以前、私の 内なる風景 について書いたことがあった。
 
 
その女神のような、天使のような、翼を持った女性は
いつも微笑んでいて美しい方なのだけど、
見ている私のところからは少し距離があって
 
その風景を覗くたびに
私はそっと眺めている感じだった。
 
 
 
ところが先週、突然に稲妻のような気づきが訪れた。
 
その方はなんと、
「内なる《まことの母》」だったのだ!!
    
 
ようやくまみえたその「母」に
私はまるで幼な子のように「もっと!もっと!」と甘え、
泣きじゃくったり、駄々をこねたりして、
 
そのつど彼女の微笑みと大きな翼に抱かれながら
《母なるいのちのエネルギー》を貪るように求め続けた。
  
 
初めての安心、初めての充足、初めての喜びを
体中で味わいながら。
  
 
 
ところが一方で、
私は “自分” というものを失っていった。
 
 
まるで「サナギ」にでもなったみたいに
内側がどんどん溶けてドロドロになってゆく感じで
 
これまで自分で “自分” と思っていたものが
カラカラと崩れ、曖昧になり、無になってしまうようだった。
 
そこには光がなく、真っ暗闇で、不安と苦しみがあった。
 
 
確かに《いのちのエネルギー》をいただいているのに
“自分” という存在は消えてなくなっていく・・・
 
不思議な感覚だった。
 
 
 
そしてある晩、
私はついにあの「金色の泉」に入ったのだった。
 
シャンパンのようにしゅわしゅわでキラキラのその泉は
美しく輝いてはいたけれど
 
長いこと遠目で見ていたそれに
自分が入ってゆくというのは、正直少し怖かった。
 
 
でも、今の私はもう、一人ではないのだ。
 
「母」が傍にいてくれるという安心感と共に入ってゆくと・・・ 
そこには深い安らぎと、喜びと、懐かしさがあったのだった。
子宮の中、みたいな?? 
 
 
翌朝は、いつも以上に心身が生き生きとしている感じがして、
そしてふと、気が付いた。
 
 
 
 「金色の泉」 って・・・
 
  もしかして、「黄泉(よみ)」!? @@;

 
 
 
この字が表しているのってじつは同じもの!?
昔の人も私と同じ風景を見ていたのだろうか!?
 
 
そして「内なる母」はその「黄泉」にいる・・・
まるで「イザナミ」のようだ、と思った。
 
 
ということは、私がサナギのドロドロになったのは、
まさしく 「死の国」 へ入ったからなのかもしれないと、
なんだか妙に納得したのだった。 
 

「死」って、「黄泉」って、
実は気持ちいいことなのかも。。


 
 
そうして6月に入り、いま、
何かまた新しい 「生」 が始まったような気がしている。
 


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★ 写真は二度目の産卵と誕生を無事通り抜けた、
  我が家のキジバト母子♪



posted by 千晴 at 09:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 気づきの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月02日

女性の、ひとつの、生き方

生きるとは、愛とは、神とは、信じるとは・・・
 
大学時代に
そんなことをとことん語り合えるひとりの友がいた。
  
彼女はある映画監督に惚れ込んで
卒業後はそのまま映画製作の世界へ飛び込んでいったのだった。
 
在学中には、彼女が監督したドキュメンタリー映画
私が出演したこともあった。

 
けれど、その後の彼女はとにかく映画の仕事が多忙を極め
ほとんど会うこともできないままに10年以上が過ぎた。
  
 
 
先週、出張のために夫が一週間ほど不在となったとき
私は “自分” という存在から「精神」なるものがまるで
消え去ってしまったように感じた。
 

それはまさしく結婚する以前の自分でもあり
 
「精神」の抜け落ちた自分というものは
寄る辺のない、とても不安定で不確かなものに思えて
情けなくなった。

 
(やはり所詮はパートナーに依存していただけなのだろうか・・)

 
でもどれだけ自力で頑張ってみても
それが自分の内から湧いてくることはなかった。 
 
 
 
そんな最中、なんとなく導かれて
『海よりもまだ深く』という映画を観に行った。


映画に出てくるタコの遊具が、
幼い頃よく祖母が連れて行ってくれた公園のタコと
まったく同じ形で(私はタコ公園と呼んでいた)
無性に懐かしかったり、
 
主演夫婦や親子の年齢がうちと似ていて
親近感を感じたりした。
  

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そして最後のエンドロール。
 
突然、
あの友の名前が私の目に飛び込んできたのだ・・(!)
 
 
・・・そうだ。 当時、彼女が惚れ込んで師事したのは、
是枝裕和監督だったんだ。
 
 
あれから15年以上も、
この監督の下で働き続けている彼女の姿が
急にありありと目に浮かんできて
 

そしたらなぜか
 
私も初めて自分を許せた気がしたのだった。
 
 
 
男性から「精神のエネルギー」を受け取り、その代わりに
自分は「いのちのエネルギー」を与える。
 
そんな女性の生き方も、この世にはあるのではないか。
 
 
学生だったあの頃、私たちは確かに
「精神の柱」・・・自分をまっすぐに貫き、支えてくれる存在を
切に求めていたと思う。
  

卒業して、それぞれに
その「精神」を宿した男性と出会い、
その「精神」に師事して生きてきたのだ。
 
 

映画世界と出会った彼女も、
言語造形と出会った私も、
そして『つぶ長者』に出てくる “嫁さま” も・・・
 
 
 
「自分一人では何もできない」
 
 
そんな自分の在り方をこれまで密かに卑下していたけれど、
私の生きる道はきっとそれでよかったんだと
 
ようやく認めることができた気がした。
 

posted by 千晴 at 22:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 気づきの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月25日

映画『ROOM』

日は心斎橋にある、若者の町?「アメ村」へ。
 
古着屋さんでキュンキュン遊んでから
友人が薦めてくれた映画『ROOM』を観てきた。
 
 
なんかもう、身体の中のいろんなレベルに作用が起きて
未だことばにならないでいる。
 
5歳の男の子の眼差しと
紡ぐことばのひとつひとつが、内に深く響き続けている。
 
 
観れてよかった。
何かを、想い出した気がする。


『ルーム ROOM』


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2016年05月07日

巨石で瞑想

雨上がり、牡牛座新月の今日は
 
山の巨石の上で瞑想する」 という
とても貴重な体験をさせていただきました。
 
たった数メートルの違いなのに、
巨石の上に登ってみたら明らかに別世界、別次元な空間!
 
そこでの瞑想体験では
身体が天と地のエネルギーに貫かれて
あまりにも気持ちよくて、私の中の余計なものが洗い流されました。
 
これまでずっと、 「木登り」 好きの 「木フェチ」 だったけど
今日からはさらに 「巨石登り」 好きの 「巨石フェチ」 になりそう♡ (≧∇≦)
 
素晴らしい体験をどうもありがとう!!


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2016年04月15日

「死」 から生きる

私はいま、「死」 から 「生」 を生きている気がする。
 
この感覚は、不登校だった17歳の頃にも一度体験した。
誰にも話せず、いろいろと思い詰めた末に「死」を覚悟した
あの時。
 
どうせこの世を去るのなら、その前に
 生きてる間しか体験できないことを味わい切ってからにしよう

 
ふと、そんな思いがひらめいたら、
それまで灰色に見えていた世界が、一気に色づいたのだった。
 
 
月日が一巡りして、いま、
私は再びここへ立ち返ったのかもしれない。
 
この星にはまだたくさん
私が味わい切れていない「美しさ」がある。
 
 
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ごくらくじょうど

昨日の万代池。まるで時間が止まったみたいだった。
 
金色の光のなかで、春の「いのち」が満ち満ちて
雨上がりの湿り気のなかに
咲いたばかりの藤の甘い香りが運ばれてくる。
 
極楽浄土・・ということばが浮かんだ。 
 
 
そして今朝、
水遣りでいつも目配せする母鳥がいなくなっていたので
覗いてみると・・・
 
二羽のヒナが生まれてた。

 
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昨夜の地震、熊本市に住む親戚はなんとか無事だったそうで
ほっと胸をなでおろす。
 
 
ああ、地球といういのちよ。


 
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2016年04月10日

消え去る幻想、現る無の喜び

「為す」ためでなく「感じる」ために生まれてきたことを思い出し、
自分にとって最大の「檻」から初めて外に出ることができたら
 
なんだか私の世界はすっかり変わってしまった。
 
 
それはとても静かで無理がなく、リラックスしていて、懐かしい。
なんの音も、色も、形もない、「無」のようなもの。 
 
 
ついこの間まで
 
「常に努力していなくちゃ」、「人に必要とされる人間にならなくちゃ」、
「独り立ちして自分で何かを創造しなくちゃ」と思っていたのに
 
それらのすべては今、
私からごっそり抜けおちてしまった・・・
  
誰かを喜ばせたいとか、人の役に立ちたいとか、
己の存在価値を感じたいとか、認めてほしいとか、
 
そういった幻想はすべて消えてなくなって
 

今はただ
 
目の前にある世界とひとつになる至福を「感じている」。
それだけが、私の唯一の喜びとなった。
 
 
おそらく言語造形という芸術が自分に与えられたのも
その「感じる」のためだったのだろう。
 
先日の神奈川公演では、故郷のかつての恩人や友人たちと
文学を媒介にしてひとつになる喜びと充実をいただいた。
 
そのすべては天から与えられた恩寵であり、
しかもそれらは毎日毎日、目の前に与えられ続けている。
 
私はそれを精一杯に、この身体をとおして感じるだけ。
感謝と喜びをもって感じ続けるだけでよかったのだ。
 
 
悠久の「無」とその美を湛え続ける兼六園の空間とひとつになったとき、
「この星に生まれてきてよかった!」とこころから思った。
 
あの、とてつもない愛に包まれた至福を感じ続けながら
この日々の暮らしも生きてゆこう。 
 
 
そして言語造形の世界も、頑張るよりものびのびと、
「感じる」喜びの発現として、私の傍らに居続けてくれるのだろう。
 

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posted by 千晴 at 12:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 気づきの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする