2019年12月25日

日の御子の誕生に

七色に輝けるひの知ろしめす
おのが内なる神を愛でよと
 
2019.12.25


80784555_1157869581222850_7036711479592091648_n.jpg


◆ 次回は 1/12(日)
「やまとことは」を味はうクラス
 
 
 
 
 
 
posted by 千晴 at 00:00 | Comment(0) | *アトガキコラム* | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月08日

夕日と桜

愛する夕日
丹(に)のひかりと桜
 

56980833_646471182475025_8309187002360659968_n (1).jpg


56664712_603791976752940_6222601979118485504_n (1).jpg


56737238_378253603025587_1358613454121861120_n.jpg


◆ 次回は 4/14(日)
「やまとことは」を味わうクラス



posted by 千晴 at 20:53 | Comment(0) | *アトガキコラム* | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月15日

親ばかとは?

 学生のときに出会った若い男性の先生や、
 北海道のラーメン屋でアルバイトしていたときの店長など、
 当時独身だった私から見ると、まさに「親ばか」そのものだな〜と
 感じていた人たちが何人かいます。

 彼らは、愛する我が子の写真を携帯の待ち受け画面にするのはもちろん、
 職場にもペタペタと写真を貼り付けて、それを私の前でうっとりと見つめながら、

 「うちの娘は、マジで、世界一かわいいよ。」
 「外で同じくらいの月齢の子を見ても、これは決してひいき目じゃないん
  だけど、断然うちの子がかわいいんだよね。」

 こんなことを、本当に、本気で言うのです。

 当時の私は、微笑ましく相づちをを打ちながらも、やっぱりその眼差しが
 不思議でたまりませんでした。

 ところが、いざ自分のもとにもベビーがやってきて、また、側で夫が同じ
 ようなことを言っているのを見て、自分たちももれなくその「親ばか」に
 変身していたのだということに、先日ハタと気がつきました。(遅い!^^;)


 例えば“写真”。
 生まれてからの子どもの写真は、親の目にはどれもほんとうに可愛く美しく、
 愛らしく見えます!
 でも、時が経ってその頃の写真を改めて見てみると・・・
 「え゛・・あれ?あの頃感じていたほど可愛く見えないぞ!?」と・・。

 写真を撮った当時の自分と、今の自分との見え方の違いに驚くのです。
 その違いはきっと、かつて店長に写真を見せてもらったときの感覚と同じ。
 そして途端に昨年送った子どもの写真付の年賀状が恥ずかしく思えてきたりして。。

 ところが最近撮った写真は、またやっぱりどれも輝いて可愛く見えるのです。
 でもそれもまた数ヶ月したら「あれ?」と感じてしまうのかしら。
 きっと、「親ばか」ちゃんは、これを繰り返すのでしょうね。(^^ゞ


 それにしてもこの現象は、一体どういうことなのでしょうか。


 おそらく、子どもには、写真には写らない(目には見えない)特別なパワー
 というか輝きというか、魅力ある「何か」があるのではないかと思います。
 子どもは、ただ存在しているだけで、たっぷりとその「何か」をふりまいて
 いるから、周囲でそれを受け取った大人たちはメロメロになってしまう。。

 撮ったばかりの写真があれほど可愛く見えてしまうのも、
 きっとその「何か」を、まだ見て“思い出せるから”なのではないかしら。


 うーん、ではその「何か」とは、何なのだろう?

 そんな素敵なもの、できれば大人の私もふりまきたいぞっ!

 そこで・・・
 大人の場合の例はないものか・・と考えていたら、ふと、
 「アバタモエクボ」って諺が浮かんできました。
 おおっ!?これって「親ばか」現象と近いでしょうか!?
 ならばもしかしたら大人でも、それを持つこと、ふりまくことが、できるのかしら・・!?

 この「何か」の秘密を、もしもご存知の方がいたら是非教えてくださ〜い!


posted by 千晴 at 10:23 | Comment(6) | TrackBack(0) | *アトガキコラム* | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月22日

誕生日

昨日、28歳の誕生日を迎えました。
シュタイナーの人間学から見ると、いよいよ第五七年期に入ることとなり、
これからの七年間は天使の護りから最も離れる試練の期間ということ・・
「う〜む覚悟をしなくちゃな。。」
そんなことを考えていると、実家の母からバースデーメールが届きました。

いつもことばの表現においてはちょっと不器用な母なのに、
そのメールは、いつになく、深くてオープンな愛情にあふれていて、
私はとても感動してしまいました。
母に許可は得ていないけれど、ここでもちょっと紹介させてくださいね。

 ・・・
 月日が流れるのは早いものですね。
 貴女が産まれてから今日までのことは、とても鮮明に覚えています。
 貴女が産まれた日に、商店会の人達が集まって、大賑わいだったこと。
 貴女が歩き始めて、おばあちゃんやパパと大喜びしたこと。
 入園式、運動会等、沢山のことが思い出されます。

 その貴女が、夏ちゃんの母となり、同じように娘を大切に育てようとしています。
 私が、貴女から沢山の幸せを貰ったように、
 貴女も夏ちゃんから沢山の幸福を貰うことでしょう!


よく、「自分が親になってみて、初めて親の苦労が分かる」といいますが、
娘がやってきてくれたことで知った一番の驚きは、
自分も父母や祖父母、周囲の大人たちに、
これだけの喜びを与えていたのだろうか、ということです。
そしてまた、大人たちからも、こんな風に愛されて育ったのだろうか、と。

母からのメッセージは、
いつの間にかグレーに染まってしまっていた自分の過去の生い立ちが、
きらきらと洗い流されるようなことばでした。

もちろん、家族の間では、傷つけ合うこともたくさんありました。
でも、そのせいで私が忘れてしまっただけで、
温かいこころの通い合いや愛情のやりとりも、確かにそこにはあったのですね。

娘が来てくれたことによって、
その“愛”の存在に気付くことができたことを改めて深く感謝しています。


私を求めて、顔が見えたときに見せてくれる、娘のあの満面の笑顔。
ほんとうに私に会いたくて、ここに降りてきてくれたんだなあと実感します。

そして私もこの母から、“愛すること”を教わりたくて、
28年前にこの世に降りてきたんだなあと、昨日は強く確信しました。
posted by 千晴 at 14:22 | Comment(16) | TrackBack(0) | *アトガキコラム* | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月23日

私にとってのオンガク

ここ数年、自分の好きな音楽について語ることを避けていました。
なんというか、好きな音楽に、自信がなくなってしまっていたからです。


ところが数日前に見たボブ・マーリーのライブ映像が、
あまりにも素晴らしくて、カッコよくて、ヤラれてしまい、
その日以来、ずうっとこころの中でレゲエ音楽が流れ続けているので、

今回は思い切って、このテーマをこころの外に出してみることにしました。


実は私、10代に入ってから20代半ばに至るまで、
まるっきりのブラックミュージックかぶれでございました。

70年代SOULから、90年代のR&B、HIPHOPまで・・ほんとーにたくさん!!
特にレゲエは、14-15歳の頃に打たれて繰り返し聴いていたかしら。

毎日毎日、とにかく惚れ込んで、ひたすらに聴き込んでいました。


ところがある時、当時色々なことを共に考え、語り合っていた友人に、
ふと問われました。
 
 「その音楽の、なにがどう好きなのか、どんな魅力を感じているのかを、
  自分に説明してくれ」と。
 
そしてその友人は、自分の好きな音楽やバンドについて、
歌詞のこんなところが素晴らしい、こんなスタイルに共感するんだ、と、
熱く、愛をもって語ってくれたのです。


しかしその反対に、私はというと・・・

なんと、10年以上もあれやこれやと聴き続けてきたにもかかわらず、
全く“ことば”をもって説明できないではありませんか!!

 「理由なんて・・ないョ・・?・・」(こころの声。涙)


歌詞なんて、殆ど覚えていない(理解しようとすらしていない)し、
アーティストの価値観や生き方だってよく知らない・・

大好きだったはずの音楽に対し、ほぼ全く、そういうことを“考えて”
向き合ったことがなかったのです!!

この事実に気がついたとき、
なんだか急に今までの自分の音楽ライフが恥ずかしく思えてきてしまい・・・
これまで数々の曲にシビれたり、癒されたり、酔いしれたり、
元気をもらったりしてきたことなどが、すべて偽りであったかのように、
サ〜っと色褪せてしまったのでした。。


そんな出来事から何年かが過ぎて、久しぶりに観た、ボブ・マーリー。

やっぱりもの凄く深く感動したのです。
体の奥のほうが熱く、震えている。
10代のあの頃にヤラれたあの感じが、時を経た今でも、むしろより深く体験できたのです!
 
 
そうしてようやく、私にとってオンガクとは何であったのかということに気がつきました。

私は、ブラックミュージックの、
あの頭よりも下半身に訴えかけてくる躍動感あふれた「リズム」と、
歌い手の「声」から感じ取れる魂の響きを愛していたのです。

今改めてそこに意識の光を当ててみると、私はあの頃「体とこころ」を、
もっと使いたかったんじゃないかと思います。
「頭」ばかりを使う必要のある日々のなかで、体とこころももっと使って、
人間としてのバランスをとりたかったのかもしれません。

体、こころ。
頭以外の領域が求めていることに、もっと意識を向けてみると、
自分にとって大事なことが意外と見えてくるのかもしれないですね。


ボブ・マーリーの、あの濃縮した、惹きつける魅力、歌声、人となり。
 
体験してみたい方は是非このライブをどうぞ♪
http://www.gyao.jp/music/bob/

posted by 千晴 at 23:18 | Comment(10) | TrackBack(0) | *アトガキコラム* | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月20日

ブログの方向性

 「ブログ」、ネット上で日記を公開すること、
 ここ数年、とても流行っていますよね。
 
 最近、私もこのブログを始めました。

 すると池田晶子さんのある記事にこんな文章が。
 ちょっと紹介させていただきますね。


  有名になりたいとは、他人に認められたいということである。
  他人に自分を認めてほしい。
  しかし自分を自分と認めるのは自分でしかない。
  自分を認めるために他人に認められる必要はないのである。
  なのに、そこで他人に認められることを必要とするのは、
  自分で自分を認めることができない、
  自分というものがそもそも「ない」からである。

  「ない」自分を顕示する。
  自分というものがない人ほど自己顕示したがるという逆説が、ここにある。
  そもそもない自分をみてくれと示すのだから、
  自分の「名前」を示すしかない。
  大声で名前を連呼するしかない。
  私を見て、名前を覚えて。
  それがあれらのブログなる自己顕示の無内容だろう。


 ・・なるほど。確かに。。
 これまでこの“流行”に、ちょっっぴりひっかかりも感じていたのは、
 そのためだったのかな。


 でも今、私自身は、
 これと逆の方向で自分のブログを進めていきたいと考えています。


 シュタイナーに出会ってから私が得た最も大きな気づき、それは、

 自分が求めている答えは、すべて「自分のなか」にあるということ。
 またそれを得るためには、「自ら考える」必要があるということです。

 だから、自分が考えたこと、深く感動したこと、ときめいたことに、
 徹底的にこだわってみる。
 あえて“自分なり”に、とことん突き詰めてみる。
 “シュタイナー”に依るんじゃなくて、“自分”に依ることばを書いてみる。


 きっと、そうやって出てきたものは、
 普遍的な「答え(真実)」であり、すべての人と分かち合えるものではないか
 と考えています。

 もしも自分が「自由」を得られたなら、
 自分以外の人とも、その喜びを分かち合いたい。

 私の場合、これがブログを始めた動機です。


 「ない」自分を顕示する方向ではなくて、
 自分のなかに「ある」真実を見つけ出して、他者と分かち合う方向。


 これから、このことを目指して書いていきたいと思っています。
 皆さまどうぞよろしくです♪


posted by 千晴 at 16:58 | Comment(8) | TrackBack(1) | *アトガキコラム* | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月18日

愛のカタチ

 皆さんは、「愛」と聞いて、例えばそのカタチをイメージできますか?
 いやカタチは無理だとしても、状態や様子などはいかがでしょうか。

 「愛」ということばは私たちにとって、とても身近で親しい存在なのに、
 何故かこう問われてすぐに答えられるものでもないですよね。。


 ところが、私、先日発見しました!
 この「愛」というものを一発で表現できる、カタチそのものを・・・


  それは、赤ちゃんです。


 こう聞いて、なるほど納得ですか?それとも不満だったりして。笑

 実はこんなことを考え出したのにも、いつもの通りきっかけがありました。
 これはある方に聞いた話なのですが、是非ご紹介させていただきますね。


 音の心理学という分野において、赤ちゃんは地球に降り立つ瞬間に、
  a(ラ)の音を発生するのだそうです。
 実際、その方はとある病院で多くの赤ちゃんの第一声を無作為に録音して
 みたらしいのですが、全員もれなく a(ラ)の音だったそうです!

 そして、音の心理学では、a(ラ)の音は愛をつかさどる音だそうです。
 するとつまり・・・

  「赤ちゃんは、愛のメッセージを宇宙から携えてこの地球に降り立つ」

 ということになりますよね!

 これを聞いたとき、私はこころがとてもときめいて温かくなりました。
 そして、傍でまだハイハイが思うように出来ずに怒り泣きしている
 我が家のまめぞうを見ながら、深く深く納得してしまいました。


 赤ちゃんて、何をしてても、してくれなくても、

 周囲にいるどんな大人のこころをもやわらかく、温かくしてくれる・・
 どんなときでも光を発し、輝いていて、愛の明かりを灯してくれるのです。

 そしてそれはきっと、
 誰にでも、どんな人にでも、自らを開いているからなんですね。


 このお話を聞いて、また一つ、大切なことを思い出させてもらったような
 気がしています。

 この世に生まれて、年月が経って、私はいつの間にか、
 「自分には出来ないことっていっぱいあるんだなあ・・」
 ということを考えるようになったのですが、

 でも、なぜだか、これだけは、
 「自分にもできるんじゃないか?」と思えるのです。

 誰にでも、どんな人にでも、自らを開くということ。

 うーん、、なぜだろう・・考え出すと難しいとか、怖いとか、、
 いろいろ出てきちゃいますね。。

 いや、でもそういうことよりも、
 自分だって昔はちゃんと「赤ちゃん」だったからなのかも!


posted by 千晴 at 00:00 | 大阪 ☁ | Comment(2) | TrackBack(0) | *アトガキコラム* | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月16日

ツイてるっ!

 2006年が始まりました。
 皆さま、明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いいたします。m(_ _)m


 さて、本年最初の *アトガキコラム* は、
 「ことばの家」にふさわしいテーマでいってみようと思います。
 
 それは、ズバリ・・

  「すべての出来事は“ことば”が作る」

 ということについてです。
 これって皆さんにとってはリアリティーがあるでしょうか?


 年末のことですが、「ツキを呼ぶ魔法の言葉」という本に出会いました。
 これは、ある一人のサラリーマンの方の体験が語られたものなのですが、

  ありがとう、感謝します、運がいい、ツイてる!などのことばを
  意識的に使っていると、ほんとうにそういうものを引き寄せるのだ、
 
 ということが書いてありました。
 逆に、汚い言葉や、運が悪い、ツイてない、などのことばを使っていると、
 その人はその通りの人生を歩んでしまうと・・・

 実際、この本自体がなにか熱い輝きを持っていて、
 読んでみるととても感動して、こころが生き生きとしてくるのです。
 私は、これはきっとまことのことだ、と強く思いました。


 それ以来、何かと「ツイてる」を連発する毎日が始まりました。
 特にトホホと思われるような出来事が起こったときにこそ、
 この一言を、軽快に♪発するのです。
 
 たとえば、お皿を割ってしまったとき、お茶をこぼしてしまったとき・・
 今日などは、年賀状のお年玉くじのチェックをしながら、ハズレる度に
 「ツイてる♪」と連発していました。(←すべてハズレてましたが^^;)

 そして夜のお休み前には、その日一日を振り返りながら、こころから、
 「ありがとう」と「感謝します」を発します。

 すると、やっているうちに、起こる出来事のトホホ具合が、
 なぜかどんどん大きくなってきているのですが、
 それでも、たとえ涙がチョチョ切れてしまうようなときでも、
 「ツイてる♪」を連発していると、
 不思議と前向きないい空気が湧いてくるのです。
 それにほんとうにツイてることを見つけられるようにもなってくるし。


 そして、そんな日々を過ごしながら、ある人が教えてくれた、
 こんなメッセージも思い出しました。


  「ある人の周りに、その人を心配する人がいればいるほど、
   その人は不幸になってしまう。」


 皆さんは、心配すること、されること、どちらが多いですか?

 身近にいる人、気になる人、大切にしたい人・・・
 自分だけではなく周りにいる人のことも、心配するのではなくて、
 応援してあげる。
 そんな意識で見守ってあげることができたら、その人はきっと
 本当に幸せになるんだろうなって思います。


  「すべての出来事は“ことば”が作る」。


 皆さんも、今年は私とご一緒に、
 ツイて、ツイて、ツキまくる一年にしませんか〜!?笑


 追伸:
 前回のコラムで「癇の虫」情報をくださった方々、嬉しかったです☆
 ほんとうにありがとうございました〜!
 なんとその中に手当て法を伝授してもらったという方がいて、夏木も
 今度やってもらえることになりました♪
 わーい、わくわくだな〜!私たちってツイてるぅ〜♪

posted by 千晴 at 00:00 | 大阪 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | *アトガキコラム* | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月14日

癇の虫ってどんな虫?

 ある日、天王寺を歩いていたら、ご年配の女性がこんなことを言って
 話しかけてきました。

  「まあ〜!かわいい赤ちゃん♪ ・・・アラ゛ッ、
   そやけど、これは、癇の虫取ってもらったほうがええわ〜」

 そうして、
 “赤ちゃんは「癇の虫」という虫が体の中で暴れるから、
 夜泣きしたり、大声でグズったり、顔を掻き毟ったりするのだ”
 ということを、20分ほどかけて教えてくれました。

 癇の虫がいる赤ちゃんには、眉間に青く血管が浮き出ているとのこと。
 まさにうちの夏木には出ているのです。
 でもこの血管を見て「癇の強い子ね」などと言われることはありましたが、
 取ったり出てってもらうほうがいいとは知りませんでした。


 聞いていて始めはびっくりしたのですが、お話の最後にこの一言。

  「科学で解明できるものだけが正しいと思ったらあかん。
   目に見えるものがすべてやないんやで。」

 このことばが私のこころをすっと掴み、
 早速家に帰って「癇の虫」検索をしたくなったのでした。(^^ゞ


 それで癇の虫の追い出し方を探してみると、なんとも不思議な方法が・・・
 しかもいろいろなサイトで紹介されていたのです。
 
 その名も「虫封じ」。
 癇の虫のある赤ん坊の手のひらに、墨で何やら文字を書き、ある呪文?を
 唱えると・・・なんとその手の指先から白い糸のような煙のようなものが
 出てくるというのです。
 この白いものが「癇の虫」で、それが出てゆくと赤ん坊は驚くほどよく眠り、
 先ほどの症状はなくなってゆく、と書いてありました。

 しかも驚いたのは、これがむかーしむかしの言い伝えなどではなく、
 今でも体験したり見たことのある人がいて、ネット上に書き込みをしている
 ということです。


 そんな訳で、今とっても気になっている「癇の虫」。

 何かご存知の方がいらっしゃったら是非コチラへ!→info@kotobanoie.net
 教えてくださ〜い!

posted by 千晴 at 00:00 | 大阪 ☁ | Comment(2) | TrackBack(0) | *アトガキコラム* | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月08日

コソドロと大家族

 家の中で、我が家のまめぞう(生後約4ヵ月)と二人きりでいるとき、
 私の動作は、つま先歩きで抜き足差し足・・・まるで「コソドロ」のよう。

 これは、ちょっとした物音でも目を覚まして大泣きを始めたりする彼女を、
 なるべく起こさないように、こっそりと仕事をするためです。

 ところが、それがけっこう大変で、
 足音を立てずにようやく部屋の終わり(約3m半)まで辿り着いても、
 彼女の顔を伺っていることに気をとられていて、
 結局、扉の端に足をぶつけてガタン!

      ・・・

 「びぇ〜〜〜〜ん!!(>o<)!」


 全神経を使ってつま先歩きした努力が一瞬にして水の泡に・・・涙
 これじゃあ、歳の近い兄弟のいる家庭はどうしているのだろう。。と
 不思議に思ったりしていました。


 ところがそんなある日、おじいちゃんの家に、
 いとこ家族と一緒に夕食を食べに行ったときのことです。

 いとこである9歳お兄ちゃん&3歳お姉ちゃんの、もうすごい賑やかさ!
 まめぞうを競って抱こうとしたり、手を持ってブンブン振ってみたり。
 終いには、彼女を挟んで兄弟ゲンカをはじめちゃったりもするのです。

 おまけに家のなかではテレビが二つもついていて、
 大人たちはお酒を飲みつつそれに負けない声量で会話をしています。
 さらにこの日はお皿も割れて、掃除機かけたりもしてたっけ。。

 昼間コソドロやってた私としては、これはもう、
 こころのなかで「キャー!」と顔を覆いたくなるような状況の連続です。


 それなのに。

 不思議なんです!
 まめぞうは、たとえ頭上でアクロバティックなケンカを始められても、
 全く泣かないのです。

 それどころか、どんなにうるさくても、何をされても、
 興味津々な顔をしてニコニコ♪
 私が傍からちょっと離れて、いとこたちと遊んだり、
 別の部屋へ行ったりして気を抜いていても、変わらずニコニコ♪

 むしろ、色々な人が(母親でなくても)自分の傍にいてくれる、
 関心を向けてもらえていることに満足しているみたいです。

 ・・なんだぁ、そうなのぉ〜!?


 そして、ふと、以前パートナーが言ってくれた、
 ある一言を思い出しました。

 これは、産後に、私が親に手伝ってもらうことを気兼ねして、
 何でも一人でやろうとしてしまっていたときのことです。
 

   「この子は、自分達だけで育てるんやなくて、
    世界みんなが育ててくれるんやで」


 私はその時、そのことばに真実を感じて、胸の奥までズドンと響いて、
 また同時に、己の傲慢さにも気付かされたのでした。


 子育ては、家族が多いほど、
 子どもにとっても、母親にとっても、いいものなのかもしれない。

 そして私はもっと、人との繋がりを、
 助け合うこと、頼り合うことを学ばないといけないなと思いました。

posted by 千晴 at 00:00 | 大阪 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | *アトガキコラム* | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月18日

人の繋がりとは

 昨晩、我が家の天井に大きな大きな(←たぶん)ネズミが出現しました。
 天井が壊れるのではないかというほどの大きな足音を立てて、猛スピードで
 かけ回り、挙句の果てには私の頭上で「チュー!」と鳴いたりもしました。

 こわかったー!(>_<)
 今までそんなに怖いものとは思わなかったけれど、その瞬間は、
 心臓がどきどきして、体が硬直してしまいました。


 ところが、じっとしながら耳を澄ましていると・・
 どうやらそのネズミくんの行動範囲がとても広いことに気がつきました。
 そう、おそらく彼は我が家のみならず、隣三軒くらいまでの天井を一気に
 駆け回っているようなのです。

 私だけじゃなく、隣の家の人たちも、その隣の家の人たちも、今、同時に
 この音を聞いて目を覚まし、それぞれドキドキしてるのかな。。って
 想像したら、なんだか急にそんな自分達が可笑しく思えて、嬉しいような、
 ニッコリ気分になってしまいました。


 大阪には、うちのように壁一枚で繋がった古い長屋風の家々が、
 まだたくさんあります。
 隣家の笑い声や赤ん坊の泣き声はふつうに聞こえてくるし、
 物干し台もくっつくほど近い(三軒隣の人とでも普通に話せちゃう)ので、
 朝はおしゃべり場になることもしばしば。。


 そういえば、以前の自分は、アパートを探すときでも木造はタブーで、
 鉄筋造りに拘っていたことを思い出します。
 当時はお隣に気を遣うことや、個人のプライバシーを守りたいような意識が
 当然に先行していました。

 でも今、初めてこういう家で暮らしてみて、実は結構好きかもって感じて
 いることに気がつきました。
 なんだろう、どこか人間味というか、人間らしい温かみがあるような。。
 
 きっと一昔前までは当然であり無意識だった、人の繋がりのかたち。
 これから時代とともにどのように変化してゆくのだろう。。


 満月の夜、ネズミくんのリアルな姿を想像してじっとしつつ、
 人の繋がりとその意味についてを考えたのでした。

posted by 千晴 at 00:00 | 大阪 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | *アトガキコラム* | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月01日

開いた人になりたい

 こっそりひっそりと始めてみたこのコラムですが、温かい感想をくださる
 方がいたりして、とても嬉しく有難く思っております。(感謝!)

 さて、その中で知ったのですが、前回のアトガキコラムで登場しました
 「スリング」なるもの、実は子育てグッズとしてはわりと新しいもの
 らしいのです。

 これは一枚の布きれで出来た、抱っこひものようなものなのですが、
 確かにここにベビーを入れて外出すると、スーパー、電車、公園・・・
 と、いろいろなところで話しかけられたり視線を感じたりするのです。

 「へぇ〜!こんなとこに入っとんの!カンガルーみたいやね〜」
 「うわ〜窮屈そうやけど、大丈夫なん?」などなど。。

 中には、新しいタイプのアジア系バッグなのかと思って話しかけてきた
 男性もいました。

 でもはじめの反応は様々としても、その後にベビーの顔を覗くと、皆、
 一様ににっこり、うっとりとしてくれます。
 
 私はその都度、すべての人をハッピーにする、この赤ん坊という存在に
 感心してしまいます。
 そしてつくづくこの存在は、天からの“与りもの”であって、
 今は一時的に我が家に来てくださっているのだなぁ、
 という気持ちになります。


 子どもは世界のみんなの宝物。
 
 今まで、スーパーのレジのおばちゃんと仲良くなったり、
 公園で初めて会った人と話をするなんてことはあまりなかったのですが、

 みんなの赤ちゃんに、みんなが繋がれるように、
 これからは与り人である自分は、いつでも周りから話しかけられやすい
 雰囲気を持っていたいなぁと思いました。

posted by 千晴 at 00:00 | 大阪 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | *アトガキコラム* | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月16日

宮澤賢治の観察力

 初めての“子育て”にドキマギしながらも、ようやく2ヵ月が経ちました。
 ほんとうに少しづつですが、いろいろな部分でコツを掴めてきたようです。

 例えば、夕食時、子を寝かせたまま私たち両親がご飯を食べようとすると、
 大抵ぐずり始めます。

 ほんの1メートルしか離れていなくても、親の意識が「自分」から「食物」
 へ移ってしまっていることを敏感に感じ取っているのかな。。


 そして、どうにも悪化してしまったときに泣き止む方法・・・それは、
 ずばり「食器洗い」です。
 
 スリングに入れて食器を洗いはじめると、なぜか不思議と泣き止んで、
 すやすやと眠り始めるのです。


 そこで思い出したのが、宮沢賢治の童話「雁の童子」。

 神の子童子が、ある夜寝つけずにもがいているのですが、外に連れられ
 川の水の音を聞いたら、心が急に静かになって、ぐっすり眠った。。
 という箇所があるのです。

 先日の公演でも語られたこの作品、他にも成長する童子のエピソードが
 いろいろと出てくるのですが、この箇所が我が家の「童子」にぴったりと
 重なっていてびっくりしました。


 子どもと暮らしている方、身近に子どもがいる方、機会があったら是非
 この作品読んでみてください!
 賢治の観察力にびっくりするかも!?

posted by 千晴 at 00:00 | 大阪 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | *アトガキコラム* | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月29日

目の疲れについて

  今回からアトガキなるものを書いてみようと思いつきました。
  このコーナーだけは、ちょっと個人的なことなどを綴ってみますね。


  初めての妊娠生活も、いよいよ39週目に入りました。
  もういつやってきてくれてもおかしくない状態。
  
  大きなお腹で移動するのと、驚くほどの汗かき状態に辟易しながらも
  結構元気にニュースレターやホームページの更新等をしていたら・・・


  「妊娠中に一番大切なことは『目を使わない事』。」  


  今さらになってこんな情報が飛び込んできました。 
  目を酷使すると、子宮が緊張して硬くなっちゃうのだそうです。。

  ひえー もう遅いよー
私の場合、インターネットも読書もかなりの日課なのです。Y(>_<、)Y


それでも女性のカラダってとっても面白いものなんだな、と学びます。
  興味のある方はこちらのフリーページ、是非読んでみてくださいね。


   + 整体指導きらくかんのブログ★オンナを磨くココロと体の使い方★
    http://plaza.rakuten.co.jp/okirakukan
  

posted by 千晴 at 00:00 | 大阪 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | *アトガキコラム* | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。