
あの長編『源氏物語』の現代語訳に
生涯に三度も取り組んだ与謝野晶子。
原文をほぼ諳(そら)んずるほどに
そのことのはの響きを
骨の髄にまで沁み込ませていた晶子。
この国と、古典への、
愛以外になんであろうか。
まことの学問とは
その対象への「愛」があってこそ
成し得るものなのではないか。
その対象を信頼し
こころを開き
全身全霊をかけて取り組むこと。
そういう者の姿勢を
簡単に「信者」と軽蔑するような
現代の「学者」に
学問の対象が
真実を開示することは
決してないのだろう、と思う。
◆ 次回は 11/24(日)
「やまとことは」を味わうクラス