一週間が経ち
改めて、あの祝祭の意味について
氣づきを深めています。
稲尾教彦さんという男性の内に降りてきた
「舟」という詩とその純粋なる精神を
わたしという女性がこの肉体をもって
語るということ。
それはまさしく
汗とともに持てる力のすべてを出し切る
出産のような体験でした。

宇宙の中心から真っ直ぐに降り注ぐ
形のない光・精神は
いつも男性の内に存在し
それを受け取って
形あるこの世に産みだす仕事は
女性が担っている。
うみ(産み、海)、やみ(闇)、そして
よみ(黄泉)・・

あの詩に出てくる女性は
生と死、この世とあの世、思考と行動、
見える世界と見えない世界、
その境界に立っていました。

ことばも、ひとも、
いのちあるものはすべて
男と女、父と母の和合のもとに生まれ
また還ってゆく。
この陰陽の和(やわ)し、調和の本質を
古代日本では
「にこころ」と呼んだそうです。
「に」とは「丹」であり、また
「舟」とは「あの世とこの世をつなぐもの」です。
今回わたしたちは
言語造形、ことたまの道をとおして
「にこころ(丹心)」、和合という仕事を
担わせていただいたのかもしれません。

語りの最後、
ライアーたちの響きとともに
金色に波立つ水面の上を
祝福の「舟」が清々しく漕ぎだしてゆく・・
その絵姿が
いまも鮮やかにこころに焼き付いています。

黄泉からこの地へ
そしてふたたび黄泉へ。
それぞれの世界を
和しながら
舟は旅立っていったのかもしれません。

写真: 山本 美紀子
● 次回は 10/28(日)
大阪 「日本の言靈を味わうクラス」
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