2006年03月30日

「話をしていておもしろい人」

・・・
人がもっている経験や、その中から生まれたさまざまな想い、感覚は、
当人からみれば、ふつうで、なんのおもしろいことではないかもしれない。
でも、自分とはちがう他人から観れば、自分でおもうより、
よっぽど新鮮で、かけがえないかもしれない。
出して、みなければ、それは、わからない。

「考える力」があれば、

ファイル(=知識)は、スカスカでも、
いままで生きてきた自分の湖に何度でも潜りながら、
その場で、「考えて」、
「考えて」、あたらしく言葉を、生み出すことはできる。
相手に投げ返すことができる。

話しておもしろい人と、おもしろくないと感じる人の差は、
この「考える筋肉」を、常に常につかって鍛えて、
自分の中から新しいメッセージを浮上させられる人と、
せっかくあるポンプを鍛えておらず、トレーニング方法も知らされず、
萎えさせている人の差ではないだろうか。

せっかくある筋肉がつかわれていない。
本来、できることを、やれていないという状態を、
わたしは、はっきりと、「不自由」だと思う。

ファイルボックスに仕込んだ、既製品の言葉でやりくりしている人は、
会話は淀みなくすすんでも、
経験の湖にある、想いは、
自分の中で淀んだまま、解放されないままだ。
自分と、表現が一致しないのは苦しい。

表現とは、自分の外に表れ出た、人から観えるものすべて、
肉体も、着るものも、化粧も、たたずまいも、言葉も。

こどものころ、自分の内面はこうなのに、
それと全然違う髪型に切られてしまったときのくやし泣きをいまも思い出す。
あれは、こども心に、「表現と自分の不一致」のつらさだ。

常に常に、自分の湖をくみ上げるポンプ、
つまり、考える筋肉を鍛え、その連携をよくしている人は、
しだいに、自分の想いと、ピタッと言葉が一致してきて、
自由だ。その解放感は、人をも、すがすがしくさせる。

表現とその人の一致、
そのための、「考える力」、それがある人を、
私は、心底、自由で、話のおもしろい人だと思う。


          「大人の小論文教室。」-Lesson254  山田ズーニー
posted by 千晴 at 14:41 | Comment(2) | TrackBack(0) | 響いた言葉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。
う〜ん、いつも考えさせる言葉ありがとう!

確かに.....
自分の中から新しいメッセージを浮上させられる人と、
せっかくあるポンプを鍛えておらず、トレーニング方法も知らされず、
萎えさせている人

.......というのは、分かる気がするな。
いつも何とか「表現しよう」とジタバタしていると、次第に、自分でも良く分かっていなかったことが、見えてきたりするもんね。

この点では、以前紹介されていたブログについての池田晶子さんの文章は、私は気に入らないですね。
他人に読んでもらうことを意識しつつ書くということは、そんなに悪いことじゃない。ブログを「自分で認められない自分を、他人に認めてもらいたいから」という視点は、意地が悪すぎるなぁ。
そうなら、「池田さんだって文章書くなよ!」っていいたくなるもん。
(はは.....池田さん好きだったらゴメン)


>自分と、表現が一致しないのは苦しい。
これ、本当にそのとうり!

>自分の内面はこうなのに、
それと全然違う髪型に切られてしまったときのくやし泣き
ほおぉ......。
ワタシも、まだ若いのに髪が抜け始めた時の悔し泣きは良く覚えてます。
......えっ?ちょと違うって?(笑)





Posted by いっしー at 2006年03月30日 18:29
いつもコメントありがとうございます☆
この間お会いしたときの、「“ことば”ではどうも自分の言いたいことを表現しきれない」というような(合ってます?^^)一言が、とても印象に残っています。
子どもの頃、話し始めるのが遅かったという話も。。

でも、いっしーさんの場合は、だからこそこのポンプを鍛えたって感じなのでしょうか。
今、語ってくださるそのことばの一つ一つ、ことばを丁寧に扱っている感じが私はとても好きです。

・・・悔し泣き?きゃー(≧ロ≦) ちょっとキュン (笑)

Posted by 千晴 at 2006年03月30日 23:29
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